はじめまして、東アジアで最も大きい滝「黄果樹瀑布(フアングオシューバオブー)」のある中国貴州省出身、チョウシンヨウと申します。私は、幼い頃から歴史や考古学に興味をもっているので、将来は考古学者になりたいと思っているのですが、その中でも1番、日本の古墳時代について興味を持っていたので日本への留学を決めました。現在は日本語学校へ通いながら時間を見つけては奈良県にある古墳の探索や世界遺産に関する歴史的建造物を見に行っています。
■私が奈良県をオススメする理由
①日本最古の王権「ヤマト王権」が存在した場所だから
②日本で最も世界遺産や国宝・重要文化財が残っている場所だから
③ヤマト王権は未だ解明されていないことや不思議なことが多く面白いから
その他:たくさん鹿がいるから
今回皆さんにご紹介する奈良県は日本最古の王権「ヤマト王権」が存在した場所と言われています。でも日本の歴史に詳しくない方は「ヤマト王権って何?」って思いますよね。凄く簡単にかみ砕いて説明すると、日本のトップが天皇になる前の時代のことを「ヤマト王権」といい、その頃の日本では大王(おおきみ)と呼ばれる人が国のトップでした。(※諸説あり)
■邪馬台国で1番偉い人→卑弥呼(ひみこ)
その頃の日本:今は47都道府県ある国ですが、当時は小さい集落が沢山あり、その場所のトップが「卑弥呼」と呼ばれる女性でした。(※ちなみにこの邪馬台国が実在したとされる時代のことを「弥生時代(やよいじだい)」と言います。
■ヤマト王権で1番偉い人→大王(おおきみ)
その頃の日本:現在の奈良県周辺に豪族(お金や権力を持っている人)が集まり、その場所のトップが大王(おおきみ)と呼ばれる人でした。(※ちなみにこのヤマト王権が実在したとされる時代のことを「古墳時代(こふんじだい)」と言います。
※ちなみにこの頃までの日本は、東京よりも西の地域のことを言います。
■その後の日本で1番偉い人→天皇(てんのう)
その頃の日本:ここからは、現在の日本と同じでヤマト王権では大王(おおきみ)と呼ばれていた人が、「天皇」と呼ばれるようになり、現在まで続いています。(※ちなみにこの天皇中心の政治がおこなわれるようになった時代のことを「飛鳥時代(あすかじだい)」と言います。
ヤマト王権があった古墳時代よりも前の時代は弥生時代といって当時1番大きな国は邪馬台国という名前でした。そして、その国のトップは卑弥呼という女性だったのですが、卑弥呼は「鬼道(きどう)」と呼ばれるおまじないを使って政治をしたり、近くの国と外交をしたりしながら邪馬台国をまとめていました。当時のことは、中国の歴史書「魏書東夷伝倭人条(ぎしょとういでんわじんじょう)」にも載っています。しかし卑弥呼が亡くなると「邪馬台国」は消えてしまい、日本には約150年間、空白の時間があります。ちなみに、この邪馬台国があったとされる場所は現在でも特定されていません。「邪馬台国は九州にあった」「邪馬台国は奈良県にあった」と、いつも考古学者の間で論争になっています。
邪馬台国が消えてから約150年後、突如として現れたのがヤマト王権ですが、ヤマト王権があったとされる奈良県には日本最古の木造建築群「法隆寺(ほうりゅうじ)」があり、その他、数多くの世界遺産や国宝・重要文化財が奈良県には残っています。ちなみに日本最古の木造建築群「法隆寺」はヤマト王権があった古墳時代の後、飛鳥時代の607年に「厩戸皇子(うまやどのおうじ)/亡くなった後の名前は聖徳太子(しょうとくたいし)」という人が前天皇の願いを受け継いで建てたのですが、670年に1度消失しています。現在奈良県にある法隆寺は、その後に再建されたものです。(※現在見ることのできる法隆寺は、焼失後に再建されたものですが、再建後も変わらず日本最古の木造建築群です)
奈良県へ行くと、今紹介した法隆寺や、その他の重要文化財を間近に見ることができるだけではなく、紀伊山地の霊場と参詣道へ行けば、「山や森などの自然は神仏の宿る所」という日本神話に登場する日本古来の考え方や自然の神秘的な美しさも感じることができます。ここまでの話を聞くと実際に奈良県へ行ってみてみたくなりませんか?それでは、もっと「奈良県へ行ってみたい!!」と思ってもらえるよう、私のオススメスポットを3カ所ご紹介したいと思います。
■古い奈良町の中でおススメしたい場所
①平城京(へいじょうきょう):奈良時代の王城
②唐招提寺(とうしょうだいじ):中国の唐の時代には中日文化交流の産物
③春日大社(かすがたいしゃ): 千古の森の中の鮮やかな朱塗り社殿
■①平城京(へいじょうきょう):奈良時代の首都
日本の首都圏と定義している場所は「東京」ですが、今からご紹介する平城京は奈良時代がスタートした710年から784年までの74年間、日本の首都でした。そして、この場所のモデルとなった場所が私の母国、中国の「唐」という時代に存在した「長安」という都です。この頃の中国と日本は貿易も盛んだったので、互いの国で生まれた伝統文化や僧侶達がたくさん海を渡ったため、その時代に海を渡った物は現在でも中国や日本の博物館などで実際に見ることが出来ます。今からおよそ1300年前の母国にあった都をモデルにして作られた場所「平城京」。このことを想像しながら、この場所へ訪れるだけでも、中国出身の方ならワクワクすると思います。現在、当時建てられた平城京は残っていないのですが、当時の資料を元に復元された「平成宮(へいせいぐう)」や「朱雀門(すざくもん)」、日本庭園の原点ともいえる「東院庭園(とういんていえん)」などは見ることができ、平城宮跡資料館・遺構展示館へ行けば細かく平城京の歴史についても学ぶことが出来ます。ぜひ、行ってみてください。
※日本は1956年に「首都を廃止」しているため、「首都圏と定義している場所」と書きました。
■②唐招提寺(とうしょうだいじ):中国の唐の時代には中日文化交流の産物
この場所は唐(当時の中国)から仏教の戒律を伝えるために来日していた僧侶、鑑真(がんじん)が僧侶としての規律や規則を守るため759年に建てた場所です。ちなみに奈良時代には平城京内に6つの仏教宗派があり、そのうちの1つ、「律宗」の総本山はこの唐招提寺(とうしょうだいじ)です。その他、この建物の建築構造は柱が存在しない校倉造(あぜくらづくり)という造り方で、横に寝かせた丸太を積み上げていき、その上に屋根をのせて作られているのですが、日本最古の校倉造りは、この唐招提寺(とうしょうだいじ)です。この場所はいつ訪れても穏やかな空気が漂っているので、時間を気にせずゆっくり歩いて見学することをオススメします。
■③春日大社(かすがたいしゃ): 千古の森の中の鮮やかな朱塗り社殿
春日大社は1番最初に紹介した平城京の安泰や国民の繁栄を祈るため平城京が完成してから58年後の768年に建てられました。ちなみにこの場所の東側にある春日山原始林(かすがやまげんしりん)は、日本の第54代天皇、仁明天皇(にんみょうてんのう)が「神様の宿る大切な場所だから木を伐採したり、人の手を加えたりしてはいけない」と禁止したことで、約1200年もの間大切に守られてきました。その結果、現在ではユネスコ世界遺産にも登録されています。この原始林へ一般人が入ることはできないのですが、春日大社へ訪れれば近くで見ることが可能なので、ぜひ皆さんも春日山原始林と春日大社のパワーを感じに来てみてください。ちなみに、県庁所在地に原生林が残るのは春日の神域だけです。そして、この場所には神様の使いとして有名な可愛い「鹿」を見ることができます。
※どんなに可愛いと思っても、神聖な鹿なので、追いかけまわさないようにしてください。
■まとめ
今回は、私が大好きな日本の古墳時代のことを軸に奈良県のオススメスポットをご紹介させていただきました。いかがでしたか?行ってみたくなりましたか?都会で生活をしていると毎日いろんなことに追われて疲れてしまう事が多いと思うのですが、奈良へ行けばタイムスリップしたような気持ちや、日本の国宝を眺めてリラックスすることができます。私と一緒に古都奈良へ行ってみませんか?今回ご紹介した場所はほんの一部分だけですが、奈良県にはこの他にも美しい場所や国宝を近くで見ることのできる場所が沢山あります。ぜひ奈良県の魅力について検索してみてください。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。