■日本の純文学小説を片手に旅行へ出かけてみませんか?
こんにちは。香港出身のヨアンです。前回は高田馬場にある「とんかつひなた」について書かせていただきましたが、今回は香港でも有名な日本の純文学作品を読んで、作品の舞台となった場所を巡る面白さについてご紹介させていただこうと思います。現在香港の書店では東野圭吾、湊かなえ、村上春樹といった日本を代表する作家の作品が数多く翻訳され、高い評価を受けています。翻訳されている日本作家の作品は全て一つの視点で物語を描くのではなく、誰の視点から物事を理解するかによって物語の印象がガラッと変わっていく面白さを巧みに表現している物が多いため、読み終わった後にこれまで感じたことのない満足感を得ることができると言われています。私自身も日本語に興味を持ち始めた頃、書店でオススメされていた東野東吾の「沈黙のパレード」や、乙一の「暗いところで待ち合わせ」を夢中になって読み、翻訳された言葉で理解するのではなく、日本語を理解した上で作品を読めば更に作品の世界観に浸れるのではないかと思ったことがきっかけで一生懸命日本語を学びました。その後日本へ留学した私は、川端康成や夏目漱石といった日本を代表する純文学作家の作品も読むようになったのですが、作家の芸術性が高すぎて理解するのが難しいと言われていた日本の純文学作品が実はとても美しい日本語でわかりやすく丁寧に書かれていることに気付きました。特に、川端康成の作品は、描かれた時代の日本文化は何処が美しいのか的確に描いているため、作品の舞台となった場所へ行くと現代人の感覚では見落としてしまいそうになる日本文化の素晴らしさに気付くことが出来ます。そこで今回は私が特に感動した日本の純文学作品を片手に巡る旅の魅力についてご紹介させていただこうと思います。
■大衆文学と純文学の違い
大衆文学:流行や読者の求める題材にそって書かれたもの
例:宮部みゆき、東野圭吾、湊かなえ
純文学:流行や他人の評価にとらわれず作家自身の芸術性に拘って書かれた作品のこと
例:川端康成、夏目漱石、太宰治、 (現代作家の場合は、村上春樹)
※純文学の場合、作家の芸術性が理解できなければ作品の良さが伝わりにくいことから苦手だと感じる人が多い
■私が日本人以外の人達にオススメしたい日本の純文学作品はコレ!川端康成の「古都」
当初、この作品は恋愛小説になる予定だったそうなのですが、「この古い都のなかでも次第になくなっていくもの、それを書いておきたいのです」と新聞の記事で川端自身も語っているように、小説の中では恋愛の要素よりも古都の移りゆく季節とともに紡がれる姉妹(双子)の心情が美しく描かれています。私がこの作品と出会ったのは京都で一年生活をした後だったのですが、国や生きている時代が違う私でも作品を読みながら私が一年を通して見ていた美しい京都の景色や伝統行事、京都で暮らす人々の様子の中に作品と重なる美しさを見つけることが出来ました。ここ数年小説ではなく漫画やアニメの舞台となった場所を巡る人は多いと思うのですが、数十年前に書かれた作品を片手に日本の四季やお祭りを体験してみてはいかがでしょうか?日本の純文学作家の素晴らしいところは、古き良き日本の風景を見事に言葉で表現しているだけではなく、外国人の私でも理解できる美しい日本語で書かれているところです。そして、この贅沢な体験は作品を読んだ人にしか体験できないことなので、是非皆さんも古都に想いを馳せ川端康成が描く世界に浸って京都の街を歩いてみてください。
■私のお気に入りシーンを一つ紹介
「古都」の第一章「春の花」では主人公の千恵子に片思いをしている幼馴染の水木真一が「平安神宮の神苑を巡りながら花見をしよう」と誘うシーンがあるのですが、その際、真一は平安神宮の切符売り場で働いている友人に桜が満開になる時期を尋ね、そこで得た情報をもとに千恵子を誘います。しかし、現在では好きな女性を誘う際、そのような苦労をしなくても携帯アプリ一つあれば日本全国の開花予測を知ることができますよね。この小説はスマートフォンが存在しなかった一九六一年頃の京都を舞台にして描かれているので現代の感覚で読んでしまうと、この面白さを見落としてしまいます。便利な世の中も良いのですが、こういった手間をかけて相手を誘うような時代も素敵だと思いませんか?
■最後に
今回は日本の純文学小説を片手に京都を巡る旅を紹介させていただきましたが、この他にも川端康成の「雪国」、夏目漱石の「草枕」など素晴らしい作品が沢山あるので、是非皆さんも日本の素晴らしい純文学作品を片手に日本の美しい景色を堪能してみてください。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。