Halo! (ハロー:こんにちは) 現在、日本で交換留学プログラムに参加しているインドネシア出身のJaabir(ジャビル)です。前回は沖縄県 島尻郡 南風原町にある南風原町立南風原文化センターをご紹介しましたが、今回は沖縄県 豊見城市にある旧海軍司令部壕についてご紹介したいと思います。今回も前回の南風原町文化センターと同様、この場所で得る感覚は簡単な日本語では伝えられないものが多いのですが、私の記事を読んだ人が1人でもこの場所について学んでみたいと思ってもらえたら嬉しいです。それでは早速、旧海軍司令部壕の見所からご紹介したいと思います。
※沖縄県 豊見城市(おきなわけん とみぐすくし)
※豊見城市は沖縄本島の南部に位置する町
■旧海軍司令部壕(きゅうかいぐんしれいぶごう)の簡単な説明
■いつ:1944年(昭和19年)/第2次世界大戦中
■だれが:3000人の日本海軍設営隊(山根部隊)/日本兵が
■何のために:沖縄に初めて作られた飛行場「小禄飛行場(おろくひこうじょう)を敵から守るために彫った
■この場所が選ばれた理由:小禄飛行場に近い高台で、周辺を見渡すことのできる位置だったから
■使い方:大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕
■収容人数:約4000人
■全長:全長450m(現在は275mが一般公開されている)
■旧海軍司令部壕の見所
・旧海軍司令部壕の通路
・幕僚室(ばくりょうしつ)
・司令官室
この場所の見所は日本兵の方が作った壕や、当時のまま残っている壕内の部屋です。現在入口にある長い階段は1970年に設置されたものですが、階段を下りた後に続く壕内は日本兵の方がツルハシ(Pickaxe)や、くわ(hoe)を使って掘った手作りです。そのため、壁には今でもツルハシ(Pickaxe)の跡が残っています。私は幸運なことに、この場所の歴史にとても詳しいガイドの話を聞きながら見学をすることができたのですが、説明を聞きながら四方八方に続く薄暗い通路を歩いていると、壁や地面からとてつもない緊張感が身体中に伝わってきて、タイムトラベルをしているような気持ちになりました。建設期間4カ月、使用期間は6カ月、季節は蒸し暑い夏。ここには司令室、会議室、医療室、さらには兵士が立ったままの状態で睡眠や休息を取った寝室もあります。私は当時の兵士たちがどれほど厳しい生活を強いられ、プレッシャーや死への恐怖と戦っていたのか想像しながら見学をしていたのですが、作戦室へ行った時に教えて頂いた夜間突撃の話や、兵士が書いた手紙、手榴弾で自決した時の破片の跡を見た後は、言葉では言い表せないほどの強い衝撃を受けました。
正直、この場所で見ることのできるものは全て残酷な過去を連想させるものなので、見学していると強いストレスを感じたり、恐怖を感じたりすることの方が多いとおもうのですが、今を生きている私達はしっかりこの現実を見て学ぶ必要があると思います。特に、武器で傷ついた壁や衣服、兵士たちが残した手紙や写真は戦争を知らない私達にとって「戦争」とはなんなのか、どんな影響を与えるものなのか深く考えるきっかけをくれます。美しい自然や癒しを求めて沖縄へ訪れることも素敵なことだと思うのですが、このような歴史を肌で感じ考えることも素晴らしい時間になるので是非皆さんにも訪れてほしいと思いました。
■私がこの場所へ訪れて気づいたこと
私は沖縄にある平和記念資料館や旧海軍司令部壕へ行って気づいたことがあります。それは、当時の状況を説明する人や看板はあっても、戦争を正当化するためのプロパガンダとして公開、または展示されているものが1つもないということです。あるのは実際に使用された物や当時使用していた場所のみ。沖縄の戦争に関する場所を実際に見て戦争とはなんなのかと、この場所へ訪れた人達が考え、自分で答えを見つけるための場所、それが沖縄の平和記念資料館や旧海軍司令部壕なのだと思いました。私はこのことに気付いた瞬間、今までよりももっと謙虚な気持ちで歴史を学び、相手を尊重し、平和な世の中をつくる1人として努力し学び続けることを誓いました。
■まとめ
前回ご紹介した南風原町文化センターや、今回ご紹介した旧日本海軍地下司令部壕への訪問は、私にとって一生忘れられない経験になりました。 みなさんは私の記事を読んでどのように感じましたか?今回は過去に起きた残虐な戦争を細かく説明する事よりも、私がこの場所へ訪れて実際に感じたことや皆さんに見てほしいと思う場所を選んで紹介したのですが、最初にお伝えしたように、この場所で得る感覚は簡単な日本語では伝えられないものがとても多いです。なので、私の記事を読んで少しでも気になった方は是非、実際に訪れて体感してみてください。自分達の未来を平和な状態で保つためには、過去から学び、自分達の力で変えていく必要があります。たとえ国籍が違ったとしても、一緒に平和な世の中になるよう努力をしましょう!最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
■旧日本海軍地下司令部壕コチラをご覧ください。